2022年7月21日木曜日

私の宗教論

Preface

きのこたけのこ戦争について、私はどちらかといえばきのこ派です。

理由はきのこの方がチョコレート部分を持たずに食べることができる為です。それに加えて、使用しているチョコレートの量はたけのこより1.4倍程度多いというデータもあります。

ただ、たけのこ派を否定するつもりは全くありません。

むしろ、たけのこ派の方が多数派閥なので、たけのこ派を否定すると多くの敵を作ることになります。そのため、たけのこ派への配慮は常に必要です。たけのこ派の人が現れたらきのこ派への改宗を試みず「たけのこイイっすね☆」と尻尾を振るのが正しい大人の対応だと思われます。

しかし、私は聖人君子ではないので、酒の席で酔っ払っている時などにウッカリ「たけのこ好きとか情弱ワロス」などと、極めて不適切な発言をすることもあるかもしれません。そのような発言は極めて遺憾であり謹んでお詫び申し上げます。

大半の日本人は宗教に対してアレルギー反応のようなものを持っていると思います。

その反面、実はとても信仰心が強い側面を持っている世界的に稀有な民族だと思います。だからこそ、きのこたけのこ戦争のようなしょうもない宗教戦争に熱狂したりするのかもしれません。

(1)

私が「日本人の信仰心が強い」と考える理由は、日本にはアニミズム信仰(精霊信仰)を基本とする神道(※ここでいう神道は国家神道ではないです)が価値観の基礎として根付いているので、多様なカルト宗教が生まれやすい肥沃な土壌があるためです。

日本のアニミズム信仰では西洋一神教のような「異教徒」といった考えがそもそもなくて、何でも受け入れます。そのため、他教のキリストですら八百万の神の一柱として受け入れ、彼の誕生日(聖クリストマス)も恋人と性行為をする祭事として定着し、近年ではハロウィンも野外コスプレの祭典として定着し、バレンタインと呼ばれる結婚禁止令に抗議して処刑された聖職者を称える祭典は、何故か菓子の授受を通してディスプレイ活動をする祭典として知られています。

クリスマス等に心躍らせる大半の日本人はキリストを信仰している訳ではなく、単なるお祭り好きな民族性によるものだと考えられます。外国人にこの価値観を説明するのは苦労するかもしれません。何故なら、世界的にはアニミズム信仰(多神教)よりも一神教の方がポピュラーで、ユダヤ教派生の一神教人口だけで世界人口の過半数を超えているので。

日本では伝統的に祭事と繁殖活動をセットにする文化があるため、自然と「聖なる夜」が「性なる夜」になったものと考えられます。

繁殖活動と祭事をセットにしている他の具体例を挙げると、夏の風物詩の盆踊りは元々、神前で公然と行う乱交パーティーでした。古事記にもそう書かれており、最近(昭和初期頃)までその風習が残っていた地域もあった史実も残っています。明治政府により盆踊り禁止令が出されたため、今では健全なダンスパーティーになりましたが。

神道は日本で稲作が始まった弥生時代あたりに生まれた宗教という説があります。正確には弥生時代より前からあった可能性もありますが、本格的に政治利用され始めたのは弥生時代以降だろうと思われます。科学が発達する以前の農業ではとにかく多くの人手を要しました。そこで、大量の人材を確保するため、祭事を利用して繁殖活動を促す文化が定着したものと考えられます。

「少子化対策のために伝統的な盆踊りを復活すべき」とセンセーショナルな主張をするつもりは全くありませんが、自治体が婚活パーティーを開いて晩婚カップルに子作りを期待するよりは、繁殖能力が高い若い内にぼんぼっておく方が合理的だと思われます。

2019年のデータ(※信憑性は不明)によると、20代前半の若者の約4割程度が性交渉未経験である一方、8割強程度がセックス願望があるとのことです。つまり、超エキサイティンな20代前半のだいたい2〜4割程度が「セックス願望があるにも関わらず性交渉未経験」という、生物学的な観点では不可解な謎の禁欲をしていることになります。

これは、生物としての合理性よりも、性を禁忌化した虚構への信仰(=宗教)が優先された結果だと考察しています。

(2)

日本では今でも多様な精霊が新たに生まれ続けています。

例えば、AKB48と呼ばれる新興宗教では、信者は聖書(CD)を何冊も買うことで、精霊と直に握手できるありがたい御札を獲得できる可能性があるようです。

また、嵐のコンサートチケットも礼拝の儀式に参加するための「聖なるチケット」と見做すことが出来ます。その聖遺物を入手するための手順はやや複雑で、先ずはファンクラブと呼ばれる集会(※要サブスクリプション)に入会し、入信者のみがそれを購入する権利を有します。

ドラゴンボール、ナルト、鬼滅の刃などの新興宗教は、日本に限らず世界中で多くの信者の獲得に成功しています。これらの宗教は聖書(漫画、漫画映画等)を頒布することで入信を促します。

AKB48、嵐、集英社の何れも宗教法人ではありませんが、「虚構への信仰」という点では宗教とほぼ同じメカニズムで成り立っています。

宗教とは広義には「虚構を信じること」で、人類の認知活動の大半は宗教活動と見做すことができます。例えば、会社法人、労働組合、民主主義、独裁主義、資本主義、共産主義、貨幣、国家、人権などもすべて虚構なので、それらを信じることは宗教信仰と本質的には同じことです。

「宗教法人が運営する宗教」にのみ着眼すると、日本ではオウム真理教などの「カルト教団」が悪目立ちしがちです。

「カルト」とは、ラテン語の cultus を語源とする「崇拝」や「儀礼」を意味する言葉で、私の理解では崇拝や儀礼を伴う宗教は漏れなくカルト宗教です。キリスト教なら教会、神道なら神社、仏教なら寺院、日教組なら学校、AKB48や嵐ならコンサート、オタクならコミケで信者たちがカルト行為をしているので、私の理解ではそれら全てがカルト宗教です。

宗教法人法2条(宗教団体の定義)に「礼拝の施設」を持っていることが条件として規定されているので、少なくとも宗教法人は全てカルト宗教でなければなりません。

「カルトは悪だ」

とする論調をよく耳にしますが、カルト自体は悪いものではなく、悪いのは詐欺により信者の財産を奪う行為であり、詐欺は見紛うことなき犯罪行為です。

(3)

詐欺とは、人を偽り騙して財物を交付させる犯罪行為(刑法246条)です。

宗教の本質は虚構への信仰で、虚構(フィクション)とは、偽り(嘘やデタラメ)ではなく「想像上の真実」です。そのため、宗教活動を通じて信者からお布施等の喜捨金(※法律用語ではお布施等のことを「喜んで捨てる金」と言います)を交付させる行為は詐欺ではありません。

仮にそれが詐欺になるなら、アニメで感動させて高額なブルーレイボックスへ財物を交付させる商行為も詐欺になってしまいます。「信者ならブルーレイボックスを買うべし」という同調圧力には息苦しさを感じますが、それも信仰に基づく行為である限り詐欺ではありません。(恫喝にはなるかもしれませんが)

虚構が「嘘やデタラメ」なら詐欺(犯罪)になり、「想像上の真実」であれば宗教(合法)になるということです。

その境界線はとても曖昧です。

そのため、宗教の革を被った詐欺犯罪を法で取り締まるのは容易ではないと想像できます。大きな宗教団体ならしっかりコンプライアンス対策をしているので尚更困難です。日本の場合、信教の自由が憲法により定められているので、法律を作って宗教を弾圧することができません。

ただし、仮に違憲問題が無くても、詐欺行為を行っている宗教を弾圧なり迫害するのは逆効果だと考えられます。何故なら迫害(信仰の否定)は信者の宗教コミュニティへの依存度を更に強めさせる効果があると考えられるので。

悪徳宗教等に洗脳されてしまった人に対して「そんな宗教やめろ!」とか「お前騙されてるよ!」などと頭ごなしに否定するのは無意味です。洗脳されている人は信仰心が無い異教徒からの拒否反応を「迫害のシナリオ」に変換します。そして、拒絶されればされるほどコミュニティへの依存を強め、喜んでお金を捨てる行為に拍車が掛かります。これがソシャゲの廃課金やお布施で破産する人々を生み出す基本的なメカニズムなのかもしれません。

また、宗教の迫害は深刻な過激派テロ組織を生み出す原因にもなりがちです。例えば、大好きなアニメについてそのアニメのことを全く知らないパリピに「きっもw」と否定された時、同じアニメが好きな仲間同士で傷をなめ合うことでより強い絆が生まれ、時としてその絆は「パリピ憎し!」といった文脈で虚構の敵を生み、虚構の敵を成敗するための過激派テロ組織を誕生させるリスクが無いとは言い切れません。

(4)

多くの人類はシンプルなシナリオを好み共感しやすい傾向があり、未来への不安、社会への不平不満、勧善懲悪、悲劇、なろう小説、陰謀論などのシンプルなストーリーは、信仰が得られるフィクションを生み出して人々を洗脳するためのツールとして有用です。

実際、コンテンツビジネス全般では、人間の信仰の性質を巧みに利用して消費者を洗脳することで商売を成立させているものと思われます。だからこそ、プロが創り出すコンテンツは、どれも同じような「売れるロジック」ばかりが頑張って組み込まれているので、私はそういうモノを見ると辟易してしまいますが、コンテンツを売れる商品にする(≒消費者を洗脳する)ためには必要なプロセスだと理解するようにしています。

「洗脳」といってしまうとものすごくイメージが悪いですが、洗脳されることで悩みから解放され人生が楽しくなれると思うので、私は常々「気持ちよく洗脳されたい」と思っています。もちろん、それにより過度に財産を失うのは避けたいところですが。

私を含めアニミズム信仰者はとても洗脳されやすい人種だと思います。

洗脳を解く唯一の方法は「より強力な信仰対象」に洗脳されること(洗脳の上書き)です。

大半の国には国教が定められていて、それが「より強力な信仰対象」となり悪徳宗教等への洗脳に掛かりにくいかもしれませんが、科学の力と情報の民主化により宗教の虚構が崩れつつある現代では、仮に国教があったとしても民衆に強い信仰心を持たせられるかは疑問です。

大半の宗教は善良な目的で人々を洗脳しているものと思いますが、中には最初から詐欺行為の手段として洗脳を悪用する人々も居ます。後者に対する免疫の過剰反応のような形で「宗教アレルギー」が発症しているのかもしれません。

私は自分のことを特に「騙されやすいタイプ」だと自覚しているので、社会に出て以降私に対して優しく接してくる全ての人間を詐欺師だと思いながら応対してきました。ですが、それだけガッチリとガードしていても騙される時はアッサリと騙されると思います。

実際、ソシャゲをプレイすればガチャに課金するし、アニメやゲームに一度ハマれば恐らく客観的に見て尋常でないレベルでハマります。幸いまだ全財産を失って破産した経験はないので、私が今までハマってきた宗教には運良く悪徳宗教はなかったのだろうと思います。しかし、運悪く悪徳宗教やマルチ商法の類にハマってしまったら、普通に高価なツボとかを買っていたんじゃないかと思います。

飽きっぽい人なら洗脳が簡単に解けるので「騙されにくいタイプの人」だと考えられますが、私のように一度ハマると底なし沼にハマるタイプの人の洗脳を解くのは恐ろしく難しいです。

Conclusion

どのような邪教であっても、他人の信仰心を非難するのは良くないです。

だから、幼女向けのアニメが好きな大きなお友達も生暖かい目で見守るべきで、間違っても迫害すべきではありません。心の底から気持ち悪いと思ったら、何も言わずにその場から立ち去るべきで、同じことが全ての宗教に共通して言えます。仮に、親しい友人、家族、恋人等が邪教に洗脳されたとしても、洗脳の上書きができる稀有な場合を除いて、何も言わずにその場から立ち去ることしかできません。

株式会社が運営する宗教的な事業であれば、消費者トラブルが多ければ法令で簡単に規制することができます。例えば、マルチ商法(連鎖販売取引)は消費者トラブルが多いほぼ詐欺のような商法なので、特商法で一定の緩い規制があり、ソシャゲのガチャについても業界団体による緩い規制(コンプガチャ禁止・確率の明記等)があります。

しかし、宗教法人については憲法で定められている信教の自由により特別な保護を受けています。宗教法人法1条2項によると「憲法で保障された信教の自由は、すべての国政において尊重されなければならない」とのことです。もちろん、嘗てのオウム真理教のように殺人(刑法199条)などの明確な犯罪行為をすればその限りではありませんが。

特別な保護がある反面、通常の株式会社よりも行動制限が多く、法人設立難度は高いですし、宗教法人という時点で身構える消費者が多いのでプロモーション難度も高いです。それでもある程度賢い詐欺師なら税制面で有利な宗教法人の設立を目指す筈です。そのため、現時点で約18万近くある宗教法人の中に一定数の詐欺団体も混ざっている可能性があると考えるのが自然です。

科学の発達により、虚構が実は嘘やデタラメだったことが証明可能な現代では、宗教が力を失いつつあります。例えば、未だに天動説を信じている人はほぼ居ないものと思われます。しかし、科学で克服できない課題(例えば死への羨望や恐怖など)が残っている限り、宗教へのニーズは世界に残り続ける筈です。

Post Script

長々と書きましたが、まとめると「悪い宗教やマルチ商法などには騙されないようにしましょう」というお話です。

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