片付けをしてたら、若い頃に書いていたリアル日記のようなもの(大量のA6ノート)が出てきました。
内容は公開しません...というか、思考を整理することだけが目的の日記なので、内容なんて無いようなものですし、もう全部燃えるゴミとして捨ててしまったので私自身、その内容を知る術がありません。今となっては、だいたい何となく「日記書いてたなー」程度のことしか覚えていません。
2004年〜2007年ぐらいの頃、私はインターネットができる機器を携帯電話を含めて全部処分して、情報は紙の本や手紙などの書物からしか得られないようにしていました。
日記は概ねその時代の遺物です。
インターネットからの情報の遮断というと、デジタルネイティブな現代っ子なら考えられないことかもしれませんが、当時も知人から「気でも狂ったのか?」と心配されたりしました。
インターネットというのは有象無象の情報が洪水のように流れていき、その中に身を置いていないと時代から取り残されるのではないかと不安に思うかもしれません。しかし、それら有象無情の情報を得たところで別段賢くなれる訳でもなく、単に思考の選択肢が奪われながら時間を浪費しているということに気づき(誤解し?)、試しに完全な情報遮断をして超主観的禅問答をしてみた感じです。
インターネットを捨てることで、大量の時間が手に入ります。
なので、当時やたらと本を読むようになりました。
読んでいた本は、最初の頃は文庫や新書などの普通の本ですが、最終的にそれらの本だと1日で1冊ぐらいのペースで読んでしまうので、ものすごくお金が掛かります。末期(?)の頃は六法全書、司法試験の参考書、旧約聖書、新約聖書とかを読んで節約していました。当時あまり得意ではなかった英語の本を買って(日本語比で)読めるペースを落としてみたりといった涙ぐましい節約もしていました。
ピアノ教室なんかに通ってみたのも概ねその時期です。
超主観的禅問答の結果、悟りが開けた訳ではないですが、2008年前後でほぼ別人になれたことだけは確かです。
それが良い方向に作用しているのか、悪い方向に作用しているのかは分かりませんが、お金の掛からない「自分探しの旅」のひとつの手段としては割とオススメです。完全リモートワークになった今では難しいですが、有象無象の情報が飛び交う昨今「インターネット捨てたいな〜」という衝動に駆られることがあります。
インターネットを見ないように自制すれば良いのでは?と思われるかもしれませんが、インターネットの魅力は麻薬のようなもので、自制で何とかできるようなものではないので、物理的に情報を遮断するしかありません。卓越したサバイバル能力があれば電気の通ってない山の中や無人島に籠もることがベストです。もやしっ子の私にはそんなスキルはありませんが、インターネット回線や電話の契約を切ることなら簡単にできます。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。