東方VGSでは一切マネタイズをしていないので、幾ら人気が出ても私には直接的な収益は入りません。それでもなお続けている理由は「純粋に私が創っていて楽しいから」じゃないかと思います。ですが、それでは何故、東方VGSが私以外の多くの第三者(主に東方ファン)から支持されているのか...この点について、今まで上手いこと説明することが出来なかった(というより私自身よく分かっていなかった)のですが、最近「あぁ、そういうことか」と納得できた感じになったので、記事にしてみたいと思います。
東方VGSに限らず、チップチューン音楽(いわゆるピコピコ音)を愛する人は多いです。何故、チップチューン音楽が愛されるのかというと、理由は「分かり易い」からです。何故、チップチューン音楽が分かり易いのかというと、チップチューン音楽は普通の音楽(アコースティック?)と比べて情報量が少ないからです。
ここでいう音楽の「情報量」とは、サンプリング周波数やビットレート(つまり、ディジタル的な意味での情報量)のことではなく、合成波形数(重ね合わさっている音源の数)と音毎の波形の複雑さ(パルス値の変化の多様さ)を指します。
人間が知覚できる情報というのは一定の限界があります。音楽の才能がある人とそうでない人の違いは、瞬間的に処理できる情報量が多いか少ないかで、そして、大抵の人は音楽の才能がありません。私にもありませんorz そもそも、音って情報として掴みにくいものなので、才能を磨く機会が殆ど無いことがその原因じゃないかと思います。
ですが、大抵の人は音楽の才能は無いけど音楽が好きです。
もっと正確に言えば、大抵の人は「情報量の少ない」音楽が好きです。
例えば、音楽の最高峰はオーケストラなのに、オーケストラが好きな人はあまり居ません。何故ならオーケストラは情報量が多すぎるので、情報を処理し切れない人が大半=理解できない人が大半だからだと考えられます。(ちなみに、音楽の才能が無くても、スコアを見ながらオーケストラを聴けばかなり楽しいのですが、そこまでする人は少数派だと思います)
人間は、受ける情報が多すぎる場合、情報の中から自分にとって必要な情報を選別しますが、情報が多すぎるとどれを選別して良いか分からないのです。その場合、料理経験の無い子どもに玉ねぎの皮を剥かせると芯だけになってしまうのと同様、「必要なモノ(情報)」をそぎ落としてしまい、結果的に「つまらん」と思ってしまう訳です。
それなら「情報量が少ない程良いのか?」というと、そうではありません。
何故なら、情報量が少なくなると稚拙なモノになってしまうので。
東方VGSの音楽は、音楽的に見てかなり情報量が少ないです。波形は固定化された三角波、矩形波、ノコギリ波だけだし、同時発音数は6音、更にモノラル1chというスペックです。これだけでは単なる「ちゃちな音楽」しか作れないかもしれません。しかし、(win版以降の場合)東方Projectという既存楽曲(少なくとも東方ファンなら知っている曲)をベースに、それを(多少の「意訳」を加えつつ)分かり易くしたモノだから、結果として東方ファンに受け入れられ、人気が出たのではなかろうかと思います。
つまり、例えるなら東方Project本家の音楽は「実写映画」で、東方BGM on VGSは東方本家の「アニメ版」という風な感じですかね。必ずしも常にメディアミックスが上手く働くとは限りませんが、二次創作と相性の良い東方IPだからこそ結果的にウケたのかもしれません。(個人的には東方に限らずメディアミックスの一手法としてVGS化というのはアリじゃないかと思っていますが、今のところ、そういう方向でお声が掛かったことはありません。コチラから某社にお声掛けしたことならありますが門前払いでした^^;)
ちなみに、この「情報量」に着眼した考え方は、ドワンゴの川上会長が書かれた「コンテンツの秘密」という本を読んで参考にしました。
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